「ロシアでは誰も野球なんてやっていないのに、なぜかバットだけがよく売れている」―― SNS やネット記事でよく見かける、この“ロシアあるある”。
ネタとしては面白いですが、本当にそんな極端な状況なのでしょうか。ここでは、 実際の報道や統計に近い情報をもとに検証してみます。
1. 噂の元ネタ:50万本のバットと「ボール1個」発言
この話の“決定版”として有名なのが、2015年にロシアの国営通信社 TASS が配信した記事です。 そこでは、モスクワの交通警察トップが次のように発言したと報じられました。
- ロシアでは前年に「約50万本」の野球バットが売れた
- しかし同じ年に売れた野球ボールは「1個」、グラブも「1組」だけだった
- 「ロシアではどこで野球をやればいいのか分からない。野球は人気がない」とコメント
- バットは主にドライバーが“交通トラブルの解決”のために買っていると推測
この TASS の記事をもとに、アメリカの経済メディア MarketWatch やスポーツメディア、 各種ニュースサイトが「ロシアでは50万本のバットが売れたが、ボールは1個だけ」と面白おかしく紹介し、 そこから「ロシア=野球はやらないがバットだけ買う国」というイメージが一気に広まりました。
ただし、この数字そのものがどこまで厳密な統計なのかは記事からは分かりません。 警察トップの“印象”や、どこかの業界団体から聞いた話をそのまま引用している可能性もあり、 いきなり「公式な全国統計」として受け取るのは危険です。
2. 実際のロシア野球事情:「マイナー」だがゼロではない
とはいえ「野球がまったく存在しない」わけでもありません。国際野球連盟系の資料や ロシア野球連盟のコメントによれば、ロシアには
- 約3,000人の登録選手(野球)がいる
- モスクワやサンクトペテルブルクなどを中心に、全国選手権に参加するクラブチームが複数存在
- ロシア代表はヨーロッパ選手権などにも継続参加している
つまり、野球は「超マイナースポーツではあるが、ちゃんとリーグも代表もある」という状態です。
3,000人もの選手がいて試合をしている以上、「全国でボールが1個しか売れていない」は文字通りには成り立ちません。 ここから先は、「警察トップの誇張表現」あるいは「ごく一部の大手チェーンの販売データ」くらいに見ておくのが現実的でしょう。
3. なぜバットが売れると言われるのか:車のトランク文化と“護身用”イメージ
では、なぜここまで「バットだけ売れる」というイメージが強いのでしょうか。 その背景として、いくつかよく指摘されるポイントがあります。
① ロシアの“車載バット”文化
TASS の記事でも触れられている通り、ロシアでは交通トラブル(割り込み、接触事故、あおり運転など)が 過激な口論やケンカに発展することがあり、その“道具”として車のトランクに 野球バットを積んでいる人がいると報じられています。
映像サイトやニュースでも、路上トラブルでバットを振り回す動画がたびたび話題になり、 「ロシア人=みんな車にバットを積んでいる」というイメージをさらに補強しました。
もちろん、実際に暴力に使えば犯罪ですし、安全面からも絶対に真似すべきではありません。 ここではあくまで「そういう象徴的なイメージがメディアで繰り返し取り上げられてきた」という意味で紹介しています。
② スポーツショップ以外でも売られている
警察トップの発言によれば、「カーディーラー(自動車販売店)でバットが売られ始めている」とも言われています。 つまり、純粋なスポーツ用品というよりは、車関連グッズ・護身グッズのような位置づけで売られているケースがあるわけです。
こうした売られ方をすれば、「野球をやらない人でもバットだけ買う」層は確かに増えるでしょう。
③ 野球そのものの人気はかなり低い
ロシア国内のスポーツ人気調査では、サッカー、アイスホッケー、フィギュアスケート、スキーなどが上位を独占し、 野球は順位に現れないレベルのマイナー競技とされています。
この「野球の人気の低さ」と「バットが護身用の象徴として知られている」という二つが合わさり、 噂のフレーズ 「ロシアでは野球は流行ってないのに、バットだけ売れる」 が非常に“しっくり来る”形で広まったと考えられます。
4. 数字の信頼性をチェック:都市伝説化した統計
2016年には海外の Q&A サイト「Skeptics Stack Exchange」で、 まさにこの「ロシアでは50万本のバットが売れていて、ボールはほとんど売れていない」という話が検証されています。
そこでは、以下のような点が指摘されています。
- 同種の話は2000年代からすでに存在し、「50万本のバットと3個のボール」など数字違いのバージョンも流通している
- いずれも元ソースがあいまいで、「ロシアのニュースサイト」「国際機関」などとだけ書かれていることが多い
- 2015年の TASS 記事の数値も、どのような統計に基づくのかが明示されていない
- すでに述べたように、ロシアには登録選手・リーグ・代表チームが存在するため、「ボール1個」はほぼ確実に誇張表現
まとめると、 「バットが護身用として広く買われている」という方向性自体は妥当そうだが、具体的な本数やボールの数は都市伝説化しており、厳密な統計とは言えない というのが現時点での妥当な評価です。
5. 結論:噂の“核”は本当だが、数字はかなり盛られている可能性大
以上の情報を踏まえて、「ロシアでは野球が流行っていないのにバットだけが売れる」という噂を整理すると、だいたい次のようにまとめられます。
- ロシアで野球はたしかにマイナースポーツで、登録選手は数千人規模にとどまる
- 一方で、交通トラブルや“護身用”グッズの一種として野球バットが買われていると、警察やメディアがコメントしている
- このため「野球人口のわりにバットが売れている」のはおそらく事実だろう
- しかし「ボールは1個しか売れていない」「公式に50万本 vs 1個」というレベルの話は、誇張や都市伝説の色合いが濃い
つまり、この噂は 「方向性としてはまあまあ当たっているが、数字だけ切り取って真に受けると危ない」 タイプの話と言えます。
ロシアにはちゃんと野球選手もリーグもあり、一方で、バットがスポーツ用品以外の文脈で使われているのも事実。 そのギャップの大きさが、ネットで語り継がれる“面白エピソード”を生み出している、と理解しておくのが良さそうです。
もちろん現実には、どの国であってもバットは野球を楽しむための道具であって、 暴力やトラブルに使えば立派な犯罪です。この点だけは、噂とは切り離して冷静に見ておきたいところです。



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