人間の体はそもそも投球するようにできていないという噂は本当なのか? エビデンスから考える

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野球を見ていると、よく言われます。
「人間の肩や肘は、そもそも投げるようにできていない」
特に投手の故障が続くと、この言葉はいかにも本当っぽく聞こえます。

ただ、結論から言うと、この言い方は半分正しくて、半分は雑です。
進化人類学の有力研究では、人間はむしろ“高速で投げる能力”を進化の中で獲得したとされています。Natureに掲載されたRoachらの研究は、ヒトの肩まわりの特徴が、肩に弾性的なエネルギーをためて高速投球を可能にしていると示しました。つまり、人間の体は「投げるようにできていない」のではなく、少なくとも他の霊長類に比べれば、かなり投げることに適応した体です。[1][2]

しかし同じ研究は、その能力を現代野球のように反復・高強度で使い続けることには弱いとも読めます。実際、Roachらは、肩と肘が高速投球で生じる大きなトルクの繰り返しには十分適応しておらず、現代の投手では弛緩や断裂が頻繁に起こると述べています。スポーツ医学のレビューでも、投球は肩・肘に大きなトルクをかけ、傷害リスクと関係することが一貫して報告されています。つまり正確には、人間は投げるようには進化したが、野球の全力投球を何百球も積み重ねるようにはできていない、がいちばん近い答えです。[1][3][4]

まず、人間は「投げる能力」を進化の中で獲得してきた

ここは誤解されやすいところです。
「肩が壊れる」ことと、「投げるようにできていない」ことは同じではありません。

Natureの2013年論文で、Roach、Venkadesan、Liebermanらは、ヒトの高速投球能力は、肩の外旋域や上腕の構造、体幹と肩帯の配置など、複数の派生的な解剖学的特徴によって支えられていると報告しました。彼らは、こうした特徴が肩に弾性エネルギーを蓄え、リリース時にそのエネルギーを解放することで、ヒト特有の高速オーバーハンドスローを可能にしていると説明しています。しかも、その組み合わせは約200万年前の Homo erectus ごろにそろった可能性があるとされています。[1][2]

要するに、進化論的には「人間は投げる動物ではない」どころか、かなり投げることに特化した霊長類です。チンパンジーなども物を投げることはありますが、ヒトほど速度と精度を両立できません。少なくとも「投球という運動そのものが、人間の体にとって完全に不自然」という言い方は、エビデンスとは合いません。[1][2]

ただし、「野球の投球」は進化が想定した量と強度をかなり超えている

ここがいちばん重要です。
人間が投げるように進化したことと、現代の投手の使い方に耐えることは別です。

Roachらの論文そのものが、人間の肩と肘は高速投球を可能にする一方で、そうした大きなトルクを繰り返し受けることには十分適応しておらず、現代の投手では弛緩や断裂が頻繁に起こると指摘しています。つまり「投げる能力」は獲得したが、それは主に狩猟や投射の文脈であって、毎週のように全力投球を反復する競技スポーツまでは想定していない、ということです。[1]

この点はスポーツ医学側の文献とも一致します。Fortenbaughらのレビューでは、投球のキネマティクス・キネティクス・球速と肩・肘障害には関連があると整理され、Chalmersらのレビューでも、肩・肘トルクを増やす複数の動作要因が傷害リスクと結びつくとまとめられています。さらにUCL損傷のレビューでは、投球中の外反ストレスが肘内側側副靱帯に大きな負荷をかけ、靱帯の生理的限界を超えると損傷につながると説明されています。[3][4][5]

特に問題になるのは「一球」ではなく「反復」と「総量」

投球障害を考えるとき、しばしば誤解されるのがここです。
危ないのは“変なフォームの1球”だけではなく、普通に見える球を何度も何度も積み重ねることです。

ASMI(American Sports Medicine Institute)は、若年投手向けのポジションステートメントで、試合あたりの投球数、シーズンの投球イニング、年間で投げる月数の増加が肘障害リスクと関連すると整理しています。Lymanらの古典的研究でも、1試合・1シーズンで投げる球数が多いほど、肩や肘の痛みの率が上がることが報告されました。要するに、投球障害は「そのフォームが変だから」だけではなく、量そのものがかなり強い危険因子です。[6][7]

この意味で、「人間の体は投球に向いていない」という通俗的な言い方が当たっている部分もあります。正確には、人間の体は“単発の高速投球”には驚くほど向いているが、“高強度の反復投球”には脆いのです。野球の投手が壊れやすいのは、投球という行為自体が不可能だからではなく、行為の総量と頻度が大きすぎるからです。[1][3][6][7]

では、なぜ肩や肘にこんなに負担が集中するのか

理由は、投球が全身運動であると同時に、最後は肩と肘でエネルギーを受け渡すからです。Calabreseらの臨床解説でも、投球は下半身・体幹から上肢へ力を伝えるキネティックチェーンとして整理され、投球動作の速さゆえに上肢の組織に大きなストレスが生じることが示されています。Gauthierらの近年の臨床コメントでも、下半身と体幹の働きが上肢への負担に大きく影響すると強調されています。[8][9]

つまり肩や肘は、ただ腕だけで頑張っているわけではありません。全身で作ったエネルギーの最終出口として、非常に速く大きな力を受ける。そのため、下半身や体幹の使い方が乱れると、相対的に肩と肘へ無理が寄りやすくなります。だから投手の障害予防で、フォーム改善や体幹・下肢の強化が重視されるわけです。[4][8][9]

「じゃあ投げるのは不自然だからやめたほうがいい」のか

そこまでは言えません。エビデンスが示しているのは、投球が人間にとって完全に不自然だということではなく、高速度・高頻度・高総量での投球には明確な代償があるということです。ASMIや各種レビューが投球数制限、痛みがあるときの中止、疲労管理、年間を通した酷使回避を重視しているのも、このためです。[6][10]

実際、若年投手では「疲労したまま投げる」「球数が多い」「年間を通して長く投げる」といった要因が痛みや障害のリスクと関連します。逆に言えば、投球そのものを全面否定するのではなく、どれだけ投げるか、どう休むか、どの年齢でどう管理するかが重要だということです。[6][7][10]

結論。人間は“投げるように進化した”。でも“野球の酷使”には弱い

結論です。
「人間の体はそもそも投球するようにできていない」という噂は、そのままだと不正確です。

進化人類学の有力研究は、ヒトが肩の弾性エネルギー利用などを通じて、高速投球にかなり適応した種であることを示しています。つまり、人間はむしろ投げることが得意な動物です。[1][2]

ただし同時に、スポーツ医学のエビデンスは、野球の高強度な反復投球が肩・肘に大きなトルクをかけ、痛みや損傷のリスクと結びつくことを示しています。だからより正確な言い方をするなら、人間の体は投げるようにはできているが、現代野球のように何度も全力で投げ続けるようには十分できていない、です。[1][3][4][5][6][7]

要するに、この噂はゼロか百かで語るとズレます。
人間は投げられる。むしろすごく投げられる。
でも、その才能を競技として限界まで使うと、肩と肘はちゃんと壊れうる。
エビデンスが示しているのは、その少し面倒で、でもかなり納得感のある現実です。[1][3][6]

参考文献・出典

  1. Roach NT, Venkadesan M, Rainbow MJ, Lieberman DE. Elastic energy storage in the shoulder and the evolution of high-speed throwing in Homo. Nature. 2013.
  2. PMC版: Elastic energy storage in the shoulder and the evolution of high-speed throwing in Homo
  3. Fortenbaugh D, Fleisig GS, Andrews JR. Baseball pitching biomechanics in relation to injury risk and performance. Sports Health. 2009.
  4. Chalmers PN, et al. The Relationship Between Pitching Mechanics and Injury. Sports Health. 2017.
  5. Hibberd EE, et al. Optimal management of ulnar collateral ligament injury in baseball pitchers. Open Access J Sports Med. 2015.
  6. American Sports Medicine Institute. Position Statement for Adolescent Baseball Pitchers.
  7. Lyman S, Fleisig GS, Andrews JR, Osinski ED. Effect of Pitch Type, Pitch Count, and Pitching Mechanics on Risk of Elbow and Shoulder Pain in Youth Baseball Pitchers. Am J Sports Med. 2002.
  8. Calabrese GJ. Pitching mechanics, revisited. Int J Sports Phys Ther. 2013.
  9. Gauthier ML, et al. Evaluation and Treatment of Baseball Pitchers: There’s More to Assess Than the Shoulder and Elbow. 2025.
  10. American Sports Medicine Institute. Position Statement for Tommy John Injuries in Baseball Pitchers.
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