西武ファン界隈やネットの野球文脈で、ときどき急に出てくるフレーズがあります。 それが 「この夏は西武に捧げようと思う」 です。 ぱっと見ると、 いかにも西武ライオンズ暗黒期のファンが生み出した悲痛な名言のように見えます。 ですが厳密に言うと、 元ネタそのものは野球ミームではありません。[1]
この言葉の出発点は、宮島未奈さんの小説 『成瀬は天下を取りにいく』 の冒頭です。新潮社の試し読みでは、第一文が 「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」 と明記されています。[1]
ただし、ネットでこのフレーズが強く刺さったのは、 ただ元ネタが有名だったからではありません。 西武がかなり弱く、しんどい時期に、 そんな西武へ“夏を捧げる”という響きが妙に悲劇的で、 でもどこか笑えてしまうほど美しかった。 その空気が、この言葉をただの一文ではなく 西武ファンの覚悟や自虐をまとったミーム にしていったのです。
目次
元ネタは何か
まず結論から言うと、 「この夏は西武に捧げようと思う」 の元ネタは、小説 『成瀬は天下を取りにいく』 です。 新潮社の試し読みで確認できる冒頭の一文は、 「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」。 ここが出発点です。[1]
この作品は大きな話題を呼び、2024年の本屋大賞も受賞しました。 朝日新聞の書評紹介でも、主人公・成瀬あかりの強烈な存在感とともに、 作品の注目度の高さが説明されています。[2] つまりこのフレーズは、 もともとネット野球文化から湧いた言葉ではなく、 文学作品の一文が先にあった というのが正確です。
先に整理すると、
“発生源”は小説。
ただし、“西武ファンの悲壮感と結びついて有名になった空気”は野球文脈。
ここを分けて考えると理解しやすいです。
本来の「西武」は西武ライオンズではない
ここがいちばん誤解されやすいポイントです。 この一文に出てくる 「西武」 は、まず第一に 西武ライオンズそのものを指しているわけではありません。
朝日新聞の書評では、主人公の成瀬あかりが 営業終了を控えた西武大津店 に毎日通い、地元テレビ局の中継に映り込もうとする物語だと紹介されています。[2] つまり本来の意味としては、 閉店してしまう地元の西武百貨店に、自分の夏を捧げる という、かなり独特な決意表明です。
編集部インタビューでも、成瀬が西武大津店に通い詰める行動そのものが、 作品とキャラクターを象徴するものとして語られています。[3] なので厳密には、 このフレーズを最初から 「ライオンズ暗黒期のファンの叫び」 と理解するのはズレています。
なぜミーム化したのか
この一文がミーム化した理由は、 とても単純です。 言い回しが強すぎる からです。
「この夏を西武に捧げようと思う」という言葉には、 普通ならそこまで言わない対象に対して、 人生の一部を本気で差し出している感じがあります。 しかも小説の中では、 それを冗談ではなく真顔で言い切る。 その温度感があまりにも独特なので、 ネットでは 何かに異常な熱量を注ぐ宣言文 として切り取りやすかったわけです。[3]
たとえば球団、選手、推し、ゲーム、受験、趣味など、 何にでも置き換えられる。 だからネット上では 「この夏は○○に捧げようと思う」 という形で使われやすくなりました。 元作品の人気も高く、本屋大賞受賞でさらに知名度が広がったことで、 一文だけが独り歩きする条件がそろったのです。[2]
なぜ西武ライオンズ文脈でここまで刺さったのか
このフレーズが西武ライオンズ文脈でここまで広がったのは、 単に「西武」という単語が入っていたからだけではありません。 もっと大きいのは、 西武がかなり苦しい時期、弱さや閉塞感が強く意識されていた時期に、 この言葉が妙にハマってしまった ことです。
ただ応援する、ではない。 ただ観戦する、でもない。 そんな弱い西武に、自分の夏を“捧げる”――。 この言い回しには、 どこか宗教的で、悲壮で、しかも少し笑えてしまうような強さがあります。 だからこそ、西武ファンの自虐や覚悟と異様に相性がよかったのです。
本来の元ネタは小説『成瀬は天下を取りにいく』であり、 作品の中の「西武」はまず西武大津店を指しています。[1][2] しかしネット上では、その厳密な意味以上に、 “報われるか分からないものに、それでも時間と感情を差し出す” という響きが切り取られて受け取られました。
そして、その受け取り方がもっとも強くハマったのが、 低迷する西武ライオンズを見つめるファン心理でした。 強いチームなら「この夏を捧げる」はただの期待です。 でも弱いチームに対して使うと、 そこには 祈り、忍耐、諦めきれなさ、そして少しの自己犠牲感 が混ざります。 その悲劇的なニュアンスこそが、このフレーズをただの一文ではなく、 ミームとして強いものにした 最大の理由です。
つまりこの言葉は、
元ネタは小説、でも有名になった空気は“西武低迷期の悲壮感”
と言うとかなり実態に近いです。
しかも西武ライオンズ公式は2024年に作品とのコラボを実施しており、 球団側もこのフレーズとライオンズ文脈の親和性をある程度前提に扱っていました。[4] そのためファンの側でも、 「これは本来は百貨店の話だ」と知りつつなお、 弱い西武に人生の一部を差し出す言葉 として使いやすかったのです。
結論 これは「西武最弱時代の野球ミーム」なのか
結論としては、 発生源としては違う、でも受け取られ方としてはかなりそう です。
元ネタは小説『成瀬は天下を取りにいく』の冒頭の一文。[1]
ただしネットで有名になった背景には、
西武が弱かった時代に、その西武へ夏を捧げるという悲劇性が妙にハマった
という受容があります。
だから、 「西武最弱時代に生まれた言葉」と断定すると少し違う。 でも、 「西武最弱時代の空気の中で、ミームとして完成した言葉」 と言えば、かなり実感に近いはずです。
要するにこれは、 文学発のフレーズが、西武低迷期の悲壮なファン心理と結びついて、 野球ミームとして定着した表現 です。 ただ面白いだけではなく、 どこか切なくて、少し笑えて、でも本気の愛着もある。 だから今でもこの言葉は生き残っているのだと思います。
参考・引用
- 新潮社『成瀬は天下を取りにいく』試し読み
https://www.shinchosha.co.jp/book/354951/preview/ - 朝日新聞BOOK「『成瀬は天下を取りにいく』書評・紹介」
https://book.asahi.com/article/15127717 - 小説丸「『成瀬は天下を取りにいく』編集者インタビュー・特集」
https://shosetsu-maru.com/special/2024ht/naruten_editor - 埼玉西武ライオンズ公式「『成瀬は天下を取りにいく』コラボ情報」
https://www.seibulions.jp/news/detail/202400473044.html



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